CTS Woman7人目は、オランダで海外就職からご自身でホームパーティーシェフとして、ご活躍中の井後ゆかりさん。最近第一子をご出産されたばかりで、プラベート、お仕事ともに毎日充実されていらっしゃいます。
ヨーロッパのビザについて詳細にアドバイス頂いております。ヨーロッパでのキャリア作りや語学の問題、ビザの問題、女性にとっての海外での結婚、出産などについても大変参考になるかと思います。将来ヨーロッパで活躍されたい方、ぜひご参考にしてみて下さい。
学生時代 : 東京外国語大学英米語学科卒業、大学最後の年1993年10月より、インターンシッププログラム (スクールインターン)により3ヶ月オランダアムステルダムのROC校にて、Cultural guest teacherを経験。学生が学んでいる科目に応じ、毎回テーマを設け、日本文化の紹介を行った。 社会人時代 : 1994年4月より1996年3月まで、三重県高田短期大学にて英語助手を務める。英語教育法がテーマ。 渡航後 :1996年6月に渡蘭。 11ヶ月山一證券オランダ支社にて、営業アシスタントを務めた後、1997年12月より日産自動車に勤務。2005年 5月末に退社までの7年半のうち、2002年4月から2005年 5月末まではフランスで勤務。最初3年間経営企画部にて、欧州統括本社としての年度および中期予算作成準備と毎月の月次報告にかかわり、その後4年近く、社長秘書を務める。日産自動車退職後、2005 年10月にオランダに戻り自分の夢に近づくため準備を始める。 2006年7月より顧客宅にてホームパーティーの料理をつくるサービス“Yukari”を開始。
最初は、オランダで「働きたい」というより「住みたい」という思いがきっかけでした。オランダの場合一番楽に滞在許可が得られるのは、身元を保証してくれるオランダ人パートナーがいる場合なのですが、私の場合はそうではなかったので、住むため(滞在許可を得る)には、仕事をする(労働許可を得る)必要があり、必然的に労働許可申請のサポートをしてくださる会社を見つけることが最優先となりました。 〔注、労働許可申請も96-97年ごろはまだサポートをしてくださる会社もありましたが、ここ数年は外資企業による労働許可申請もかなり厳しくなってきましたので、ほぼどの求人広告も労働許可を持っていることが前提になっています〕
学生最後の年に3ヶ月、インターンシッププログラムにて、スクールインターンを経験。オランダの職業訓練学校(ROC)にて、ゲストTeacherを勤めました。
英語は、義務教育と大学で学んだものの、普通程度。こちらで英語で仕事をすることになり、かなり鍛えられた部分があります。やはり必要に迫られて、語学力は伸びますね。オランダ語はまったく。2005 年10月にオランダにもどってきてから、必死に勉強を始めましたが、今でも苦労しています。
オランダでは日本食ブームらしきものは、ここ7−8年ほど続いていますが、寿司、刺身、天麩羅等がメインで、日本食のイメージにはまだまだ固定観念があります。もちろんそれらも日本食ではあるのですが、私たちが普段家庭で口にする家庭料理は、もっとバラエティーに富んでいます。それらを自然な形で紹介したいと思い、家庭料理を売りにしたホームパーティーサービスを始めました。家庭料理といっても、盛り付け、うつわ等でだいぶパーティーらしくなります。また、来年度からは、日本食特有の素材、料理方法から飾りつけ〔テーブルコーディネート〕等を含む料理教室も始めることにしています。
良かったことといえば、日本を外から眺めることができるようになり、また日本を誇りに思うことが増えたこと、そしてさまざまな国の友人という財産ができたこと。大変と思うことは、やはり言葉です。文化の違いは、大変な部分でもありますが、逆に面白いですね。
新しいレシピの「練習」も兼ね(?)、週末には大体友人を夕食か日曜のお昼に呼んで一緒にすごします。天気が良いときは、自転車に乗り、サイクリングを楽しんだり、お弁当をもってピクニックをしたり。なるべく体を動かすようにはしています。それ以外は、とても平凡ですが、買い物、掃除、片付け、もろもろの雑用の整理等で週末は過ぎてゆきます。妊娠する前は、週末を利用して近くの国に住む友人を訪ねたり、年一度の大きな旅行を計画することが楽しみの一つでした。
どこに住んでも、結局私は日本人なのだということです。これは染み付いたもので、変わらないですね。(変える必要もありませんが)
オランダ人は気さく、オープンだと言われますが、それはあくまで表面的なもので、やはり違いは個人の差に通じ、外国人に対し壁をつくっている人も(差別まで行う人も)たくさんいます。それでも、オランダ語を話すよう努力をするだけで、そういった垣根が低くなることも最近感じています。 親しくなれば、本音で付き合える楽な人たちですね。
有難いことに、国としての日本のイメージはまだそれほど悪い訳ではないので、日本人であるが故に公に差別を受けたことはありません。逆に日本人ということで興味を持っていただいたこともありますし、私のビジネスは日本人であることを売りにしているわけですから、それを利用しているくらいです。ですが、街中で「ニーハオ」といいつつ、10代の少年たちが自分たちの目をわざわざ釣り目にして、変な奇声を上げてそばを通ってゆくことはしょっちゅうあります。それは、そういう人たちなのだ、アジアに対しての無知からきていると個人的中傷とは取らないようにしていますが、へこんでいるときは、さらにへこみますけどね。女性だからの差別ということは、どの国の人間でも同じだと思います。差別する人はするし、差別する人はしない。個人による差が大きいと思います。
まず2007年1月に元気な子供を産むこと。今後生活がある程度変化するので、正直どうなってゆくか見当がつかない部分もありますが、とにかく家族の生活を最優先してゆくことは決めています。 とはいっても欲張りにも生きてみたいので、産んでから半年ほど経ったら、ビジネスの広告宣伝をきちんと行い、件数を増やしてゆきたいと思っています。子供がいることで、子供向けの誕生日Partyのケータリングなどもできるかもしれません。母であること、パートナーにとって一人の女性であること、そして私という個人であること、どれも忘れないようにしたいと思っています。 そして、ゆとりを忘れずに。
まず海外に出れば、なにか道が開けるのでは、という甘い夢だけを持たないほうがいいのではないかと思います。私もオランダにいてつらいことがあると、別の国に移住したいと思ってしまうこともありますが、それではただの「逃げ」だと言い聞かせています。一つの国でうまくいかない場合、別の国にいってもそれはある程度同じだと思います。それでも日本国外に出てみて、色々な経験〔苦労〕をして見るのは、代え難いものを与えてくれます。好機は待っていてもなかなかやってきませんので、自分で一歩踏み出す勇気も少し必要です。一歩踏み出せは、その後は自然についてくることも。これから身に降りかかるどんな出来事も、自分の責任と思える方なら、すでにその一歩を踏み出していると思います。がんばってください。応援しています。